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最悪の挫折が開いた新しい扉。元医師が世界各地の「出産」を救う

上下関係、ジェンダー、社内外の枠組みなどに縛られずに、チームや組織、あるいは業界に多くの実りをもたらした女性たちは、何を考え、どう行動したのか。

Forbes JAPANでは、これまでの考え方や既存のシステムを超えて活躍する女性にフォーカスした企画「Beyond Systems」を始動。翻訳コンテンツを含めたインタビュー記事を連載していく。

ローラ・スタチェル(Laura Stachel)は、産婦人科医として長年にわたって患者の治療にあたってきたが、医師として致命的な神経疾患により、そのキャリアには終止符が打たれた。彼女はその後、社会起業家に転身。立ち上げた非営利組織「We Care Solar」では、太陽光発電によるエネルギーで、世界中の人がより安全に出産できることを目指している。

挫折を乗り越え、いま「オンコールの産科医だったころと何ひとつ変わっていない」と語る彼女の軌跡とは。

帝王切開の途中で停電

産婦人科医のスタチェルは2008年3月、ナイジェリアにあるコファン・ガヤン州立病院の分娩室で、圧倒的な無力感に襲われ、立ちすくんでいた。

1985年に医師になったスタチェルは、その日に至るまでの20年以上を、赤ちゃんと妊産婦のために費やしてきた。つまり、医師としての知識や経験が足りないわけではなかった。スタチェルが直面していた問題ははるかに単純なものだった。ナイジェリアで電力使用が制限されていたせいで、夜更けの病院が停電になってしまったのだ。

「停電になった病院を思い浮かべてみてください。出産を助ける者は、灯油ランプの下で手術をし、ろうそくの明かりを頼りに点滴針を刺さなくてはならないのです。外科医は、日没前に急いで手術を終わらせなくてはなりません」とスタチェルは言う。

「私が帝王切開を行っている最中に停電が起きたのです。目の前には手術中の患者がいて、出血していました。けれども、暗くて手元さえ見えなかったのです」

スタチェルはそのとき、医療人類学プログラムの一環でナイジェリアにいた。彼女にとっては第2のキャリアの幕開けとなるはずだった。

彼女は40代半ばで椎間板変性を患った。そのせいで腕の神経が圧迫されてしまい、外科医やオンコール産科医として仕事を続けることができなくなった。そこでスタチェルは、医師免許に加えて公衆衛生学の修士号を取得することにした。

ナイジェリアを訪れていたのは、人口は世界の2%を占めるだけなのに、妊産婦死亡例の世界全体に占める割合が11%という同国の状況について理解を深めるためだった。しかし、スタチェルは修士論文のテーマ以上の何かをつかんでナイジェリアをあとにした。自分の助けが求められていると感じたのだ。

スタチェルは、カリフォルニア州バークレーの自宅に戻ると、太陽光発電技術者の夫ハル・アロンソン(Hal Aronson)に相談しながら、コファン・ガヤン州立病院と、そこで働く医師たちの力になれる最善の方法は何かと考えた。夫妻は協力しあって、安全な出産に不可欠な分娩室や手術室などの病院施設に電力を供給できる太陽光発電システムを考案した。

初めてナイジェリアを訪れてから6カ月後、スタチェルは、コファン・ガヤン州立病院に戻り、持参した発電システムと血液保冷庫を設置した。

その後の1年間で、コファン・ガヤン州立病院の妊産婦死亡率は70%減少した。入院患者も増え、スタチェルは自分がやるべき仕事はそれで終わりだと思った。

51歳でソーラーベンチャーを設立

その考えが変わったのは、彼女に電話がかかってきたからだ。

「規模の小さい診療所で働くほかの医師たちから連絡が入り、こう言われたんです。あなたはコファン・ガヤン州立病院を助けてくれた。でも、自分たちも電気がなくて困っている。助けてくれないか、と」。スタチェルはそう振り返る。

ひとつの病院が抱えていた問題を解決しようとスタートした取り組みは、簡単に持ち運びができるキットに成長した。スタチェルは夫と協力して、コファン・ガヤン州立病院に初めて発電装置を運んだときに使ったスーツケースを使い、何回か工夫を重ねることで、ついには規模を拡大して展開できるデザインをつくりあげた。

ナイジェリアの地に初めて足を踏み入れてから2年後。当時51歳だったスタチェルは、非営利のソーシャルベンチャー「We Care Solar」を立ち上げた。そして、機内持ち込み可能なサイズのスーツケースに、充電式ヘッドライトと胎児心拍数モニター、携帯電話の充電器などを詰めてセットにした「ソーラー・スーツケース」を提供している。

ソーラー・スーツケースはこれまで、行政支援が行き届いていない世界各地の医療施設およそ6200カ所に届けられている。それによって恩恵を受けた母親と赤ちゃんは700万人以上を数える。

「すべての出産を明るい光の下で(lighting every birth)」という目標を掲げているが、それを達成するためにはやるべきことがまだまだ山積していることを、スタチェルは知っている。

世界保健機関(WHO)の推定では、出産時に命を落とす女性の数は毎年30万人を超える。しかし、自分が50歳をゆうに過ぎてから成し遂げたインパクトによって、多忙な産科医としてのキャリアを台無しにした椎間板変性に対する見方が変わった、とスタチェルは述べる。

「キャリアにとって最低最悪の挫折だと考えていたことが、結局は、心をさらに高ぶらせてくれるキャリアへの扉を開いてくれたのだと思います」とスタチェルは言う。

「私は、赤ちゃんを取り上げる仕事を心から愛していました。患者と1対1で向き合える仕事が大好きでした。でもいまでは、文字どおり何百万人もの人々の命に触れることができています」

自分の人生は変わったけれど、ある意味では、オンコールの産科医だったころと何ひとつ変わっていないと、スタチェルは考えている。

「私は以前、世界で最も厳しい仕事のひとつである産婦人科医として、人間の生死に立ち向かっていました。けれども、次に就いた仕事もまた、国際的な非営利団体を運営するというきわめて責任の重い職業でした。看護師から、新しい入院患者についての指示を求める電話は、もうかかってきません。でもいまはアフリカから、We Care Solarに関する質問や提携を求める電話がかかってきます。ですから、昼夜なく働いていることに変わりはないのです」