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ノーベル賞もついに評価 シミュレーションと占いの違いは?

「私は占星術なんか信じてないよ。射手座の生まれだし、この星座の人は疑り深いからね」と嘯いたのは、SF界の大御所アーサー・C・クラーク。最先端の天文学にも通じた作家が、星占いを非科学的な迷信のように切り捨てているくせに、その論拠が星占いという自己矛盾。よくできたジョークとも言える。しかし、現代の天文学とて宇宙の謎をすべて解明したわけでもなく、ニュートンの時代までは天文学を研究する学者は占星術も手掛けており、両者が別物として扱われるようになったのはそう古い話でもない。

天気予報は最重要ニュース

天の動きが歴史に大きな影響を与えた事例は多々あるが、まず紀元前585年に古代ギリシャの賢者タレスが日蝕の予言を的中させ、おかげで兵士が士気を失い戦争が終わったという話が有名だろう。この不確実な世界で何か予言ができるとすれば、まずは天文現象に対してぐらいではなかったか。そもそも星の動きを観測して規則性や法則を見出そうとすることは、人類の科学的好奇心の元祖でもあった。

しかし多くの人にとって生活とも関係が深いのは、遠い天の話ではなく、むしろもっと地上に近い毎日の空模様だろう。その年の気候や日々の天気がどうなるかは、運動会や遠足を控えた学校ばかりか、もちろん農業や漁業、交通機関の関係者や、スポーツ施設や気候に左右されるサービスや製品を提供する企業にとっても死活問題になる話だ。

しかし天気は大気の複雑な要素がからみあって生じる現象のため、天文現象の予報ほど単純ではなく、当たるも八卦当たらぬも八卦の、ずっとゲタを飛ばしたりネコのヒゲで占うような迷信や呪術、占星術にも近い扱いだった。

いまではニュースと言えば、政治や経済、社会のよしなし事のように考えられがちだが、実はニュース番組のオマケのように扱われている天気予報こそ、万人が必要なニュースの原点であり、昔は霊能師やシャーマンが伝える部族の運命を左右する最重要ニュースだった。

今年のノーベル物理学賞は、地球の大気の動きをモデル化し、その変動を定量化してコンピューターでシミュレーションして温暖化を高度に予測した業績で、米プリンストン大学の真鍋淑郎博士に授与された。

受賞の報を受けたご本人は「夢にも思わなかった。ノーベル賞というのは、これまで物理学自身に対してだったのが、気候変動というテーマでもらうというのは全くの驚き」と語っているが、その驚きには理由がある。

これまでのノーベル賞は、“過去”に蓄積されたデータを使って、理論を立てて実験して検証することで、その裏に潜む法則や仕組みを解明する事に対して与えられていた。しかしシミュレーションは理論をアルゴリズム化して、いろいろな条件を設定して、今後の状況を予想することで理論の正しさを検証していくという“未来”に対する手法だ。理論と実験に次ぐ、第三の科学の手法としてコンピューター科学の最も得意とするところだが、これまでの伝統的な学問の世界では十分な評価は得られていなかったのだ。

占いから数値予報への道

そもそも、現在のような天気予報が行なわれるようになったのは、18世紀に啓蒙主義が科学的合理性を主張し産業革命も起こったことで、科学やテクノロジーの役割が格段に向上した後のことだ。物理や化学以外にも、自然の動植物をリンネのように分類する博物学や、人口や農作物生産量や貿易の取引高や社会的動向に関するさまざまなデータを取って、合理的に組み合わせて社会活動や政治に役立てる統計学も一般的になっていった。

マルサスが『人口論』(1798)で、指数的に増える人口が直線的にしか増えない食料生産を上回るせいで貧困が起きると、統計学的手法で社会のあり方を論じ、それに影響されたダーウィンが生物に同じ手法を当てはめて自然淘汰による『進化論』(1858)を論じるなど、19世紀になって、社会や自然をめぐるありとあらゆる事象を、データを元に解析する手法が一般化していった。

この時期は、産業革命の成果が様々な新しいメディアの革新をもたらしたのだが、その最も顕著な例が電気の発明だろう。発明と言うとおかしく聞こえるが、18世紀にフランクリンが雨の日に凧揚げをして放電現象であることを実証するまで、雷は神の怒りと見なされており、電気はコハクなどをこすると火花が飛ぶ不思議な自然現象でしかなかった。

また18世紀半ばにはノレ神父が多数の修道士に手をつながせ、摩擦電気を起こして端の人に流したところ、1マイル先の修道士が瞬時にしびれ、電気がとてつもない速さで伝わることがわかったという話が伝わっているが、電気は奇術の仕掛け程度の扱いでしかなかった。

ところが19世紀になると、ボルタが電池を使って自由に電気を起こし、電気が流れると方位磁石が動くことから、電気と磁気が関係していることにエルステッドが目を付けた。その原理を応用して、電線に電気が流れているかどうかを磁石で検出して、遠くに瞬時に情報を伝える電信ができたのは、1830年代のこと。その後にモールスなどの人々が長距離電信を実用化した。

ちょうどその頃起きたクリミア戦争(1853〜56)では、電信網が欧州から中東にかけて張り巡らされ、郵便で何カ月もかかっていた情報が数分で伝わるようになり、日々の戦況がリアルタイムでタイムズ紙に掲載されるようになった。遠く何千キロも離れた地の戦況が裏庭で起きているような報道に、いてもたってもいられなくなったナイチンゲールは志願して兵士の看護に現地へと向かい、近代看護の礎を築くこととなったことは以前にも述べた。

この戦争では変化の激しい黒海の気象のせいで、フランス軍の艦隊が嵐で沈み、開戦前に半減するという悲劇が起き、フランスで気象研究の重要性が叫ばれるようになった。イギリスでも1854年に気象庁ができ、1870年代には天気図の作成が開始されて、1875年には「ロンドン・タイムズ」紙に一般向けに天気予報が掲載されるようになる。

気象現象は隣り合った地域の大気が影響しあって気圧や温度が変化するが、電信によって広い地域や遠隔地の天気が瞬時に共有されるようになれば、周りの状況から次の天気を予報しやすくなる。中世には国家といっても君主が馬で行き帰りできる範囲しか領土を支配できなかったが、海外の植民地を支配することで成り立った帝国時代には、電信のような地球の裏まで瞬時に情報が届く手段が必須で、逆にこういう手段が帝国主義を可能にしたとも言える。

そして20世紀にはいると、データを使った数値解析法をリチャードソンが提唱し、微分方程式を解いて気象予報を行おうとしたが、計算量は膨大なものになり、6時間後の予報のための計算に2カ月かかるありさまだった。彼は6400人の計算係を各地点に対応して並んでもらえば、実用的な予報ができると考えたが、これはまさに人間並列スパコンの発想だった。

そうしてやっとこうした計算が実際にできるようになったのは、戦後に電子式の現在のコンピューターができてからの話だ。そのためには各地のデータを収集して大気のモデルに当てはめ、現在の状態が次の状態にどう影響するかを順次計算していくのだが、細かくデータを取ればとるほど精度は上がるものの、計算にかかる手間は幾何級数的に増えてくる。

こうやって気象モデルを使って数値計算をしていくうちに、ローレンツが最初の値のちょっとした誤差で計算結果がとんでもなく違うカオス現象が起きることもつきとめた。その後は、モデルの正確さと予想結果の誤差をいかに小さくするかという研究が進み、現在は世界各国でスパコンを使って予報が行なわれるようになった。

未来を占うコンピューター

コンピューターが単なる数字の計算の道具ではなく、それが自然や社会のありとあらゆる現象のメカニズムの解明に使えると最初に理解したのは、人間の論理思考をモデル化してコンピューターの基礎を作ったアラン・チューリングや世界初の電子式コンピューターENIACの開発に携わったフォン・ノイマンなどのパイオニア達だったが、世間ではまるで理解されず、戦後にコンピューター業界の雄となったIBMでさえ、創業者のワトソンが、世界で5台売れればいいと考えたほどだった。

しかしよく考えれば、大砲の弾道や水爆の設計をした次には、当然のことながら天気予報が対象となり、さらには経済や社会の動向など、ありとあらゆる現象を論理的に計算して予測することは可能になることは今ではわかる。

1972年にはスイスのシンクタンク「ローマクラブ」が、MITのデニス・メドウスのチームに依頼して、人口や工業生産、環境汚染などのデータを組み合わせるモデルを作って、さまざまな条件でシミュレーションを行い、「100年以内に地球上の成長は限界に達する」という結論を導き出し、世界に衝撃を与えた。

その基本論理はマルサスが『人口論』で論じた話をコンピューターのプログラムに移したものであり、こうした発想は真鍋博士のモデルがIPCCによる二酸化炭素量の増加が地球温暖化にどう影響するかを想定する論議にもつながるものだ。

人類は常にこうした未来の話を論じていたわけではなく、平和な何もない時代には明日は今日とほぼ同じ世界が続くと漠然と考えていたに違いない。明日がどうなるかと不安になって未来を心配し始めるのは、ネットが普及して急に世界中の情報が入ってきたり、コロナウイルスの蔓延で人の交流が制限されたりと、社会のインフラが大きく変わったときだ。

しかし、人間は誰でも日々、目の前の道をどちらに曲がろうかと考え、今日はどこに行こうか、何をして何を食べようかと自分の直近の未来を無意識に予想し、いくつかの可能性の中から選択している。いわゆるコンピューターのシミュレーションのような行為をいろいろなレベルで経験に従って無意識に行っており、それは本質的に天気予報と変わらない。

昔はもっぱらこうした予想はことわざによる経験を元にした類推や、予想がつかないものは占い師に頼むしかなかったが、近代になれば学者や専門家、それにコンピューターが加わった「新しい占い産業」ができた。

占い師や予言者の言葉は経験や直感、もしくは星の配列や自然の兆候を解釈する独自の論理によるもので、現代の科学者から見ればあてずっぽうに見えるかもしれないが、こうした多くの占いの予想と学者の予想の当たる確率は大して違わないと言われる。

両者の違いは、結果の正しさを説明する検証可能な論理がどれだけ明確にできるかだろう。神のお告げと学者のシミュレーションは、後者が検証可能なことだ。もし結果が正しくなければ、使ったモデルを修正したり与えるデータを変えたりすることで、より多くの選択肢を選べるように改良することができる。

科学万能主義が主流の現代では、占い師はコンピューター・シミュレーションに取って代わられ、多くの人はネットという巨大なAIの支配するシミュレーション空間を使って、日々多かれ少なかれ自分の未来を占っている。それは厳密な数値解析ばかりでなく、SNSで飛び交う噂や市場のリコメンドやアドバイズなど、数字でわからないもっと直感に近い状況の読みも含まれる。

そう考えるなら、クラークの言葉も、ただのジョークとは思えなくなってくるだろう。ちなみに私は獅子座で前向きな性格なので、占星術が単なる迷信とは切り捨てず、宇宙の未知の性質を予感させる何かの表現だと受け入れている。超ひも理論やホログラフィック理論などの最先端の奇怪な宇宙論を読んでいると、まるで占星術のようにも思えるので。