地球のみなさん、こんにちは。毎度おなじみ、ブルーバックスのシンボルキャラクターです。今日も "サイエンス365days" のコーナーをお届けします。
"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。
アルカリ金属やアルカリ土類金属の発見で知られる化学者で発明家のハンフリー・デービー (Sir Humphry Davy, 1st Baronet、1778~1829)が、この日、イギリス・イングランド南西部コーンウォールの町、ペンザンス(Penzance)に生まれました。
弟のジョン(John Davy、1790-1868)も化学者で、炭素と酸素と塩素の化合物であるホスゲンなどを発見しています。
ハンフリー・デービー photo by gettyimages
デービーは16歳で実の父と死別しますが、かねてよりデービーの向学心に打たれていた外科医ジョン・トンキンの養子となり、さらに同じ外科医のジョン・ビンガム・ボーラスに奉公。独学で化学を学んだのち、医師トーマス・ベドーズ(Thomas Beddoe、1760-1808)の気体研究所の助手となり、亜酸化窒素(笑気ガス)に麻酔作用があることを発見しました。
19世紀の亜鉛化窒素を使った治療の様子。フランスの雑誌より photo by gettyimages
デービーの化学的発見や論文は、当時の科学者に知られるところとなり、1801年に王立研究所の教授に就任しました。そこで、自らが発見した化合物を構成要素に分解できる「電気分解法」により、カリウム、ナトリウムなどのアルカリ金属や、カルシウム、ストロンチウム、バリウム、マグネシウムなどのアルカリ土類金属の単離に次々と成功し、史上最も多くの元素を発見した化学者となったのです。
また、18世から19世紀初頭にかけての炭鉱では、ランプの火が充満したメタンに引火して爆発する事故が頻発していました。そこでデービーは、ランプ内で燃えている炎が外に出て行くのを防止するために鉄製の細かい網で覆ったランプを発明し、1815年の王立教会で発表しました。デービー灯と名付けられたそのランプは、第二次産業革命を支えた鉱夫たちの命を守りました。
さまざまなデービー灯。19世紀前半のカタログから photo by gettyimages
デービー灯の簡単な工夫が、いかに多くの命を救ったかを実証する、王立研究所が公開している実験(説明は英語)
後に三塩化窒素の実験で、自己反応熱による爆発がおこり、そのために視力を損なってしまいました。そのため、助手を雇うことになりましたが、その助手こそ、電磁誘導で有名になる若きマイケル・ファラデー(Michael Faraday、1791-1867)だったのです。
2019-12-16 16:43:20