当初はインフルエンザの変種程度の扱いだった新型コロナウイルスは、われわれの乏しい想像力をあざ笑うがごとく野火のように広がり、もはや国や地域を超えた人類全体の問題にまでなった。健康、経済などの問題には一刻も早く対処するべきだが、地震や台風などの目に見える脅威と違い、相手がどこにいるのかもわからない放射能に対するような恐怖が世界中を覆っており、人類全体の知恵が試されている。
ウイルスや細菌はもともと足も羽もなく、自ら移動できないので動物という移動手段を使って広がるしかない存在だ。
進化生物学者のリチャード・ドーキンスがかつて『利己的な遺伝子』(1976)の中で、「生物は遺伝子によって利用される"乗り物"に過ぎない」と主張したとき誰もが驚いたが、まさにウイルスは人類が存在するはるか以前から地球にいる先住民として、われわれを利用して世界にDNAを撒くよう進化を続けており、乗り物としてのわれわれが移動を止めない限り拡散を防ぐことはできないだろう。
病原体としてのイメージが強いが、人間の人体中には細胞数よりずっと多い何百種類もの細菌が存在しており、その総重量は腸内細菌だけで1.5kgにもなるという。つまり消化活動や健康維持のために働いてくれるものから、人類の進化の手助けをしてくれるものまで、人体はさまざまなウイルスや細菌の温床なのだ。そう考えると、われわれはこうした微生物の沼に浮かぶ、たゆたえども沈まぬ儚い存在にすぎないと思えてくる。
健康な時は気にも留めていなかったウイルスや細菌は、実は地球全体に広く存在するいわば生物界の主だ。単細胞の細菌などは地球上になんと10の30乗個近くと総生物数の半数を占め、人間も住んでいないあらゆる場所で息を潜めており、それらが環境破壊によって人間の住む世界で動き出すと警告する論も聞かれる。
文明という居心地のいい人工世界で安穏としていたわれわれは、歴史の中でときどき沸きあがる病原体の猛威によって、自分たちが地球という大きな自然の中でかろうじて生きている生物の一つに過ぎないという自明かつ過酷な現実を思い知らされている。
しかしそれなら、生命とはもともとどういう存在だったのだろうか?
その問いに明確に答えられる人は誰もいないだろうが、情報科学の世界から近年新しいアプローチがされていることをご存知だろうか。
「生命」という名のゲーム
1960年代の末に、手品の得意なイギリスの数学者ジョン・ホートン・コンウェイが奇妙なパズルゲームを作った。それが1970年に米科学誌「サイエンティフィック・アメリカン」のマーチン・ガードナーの数学コラムで紹介されて爆発的なブームが起きた。
その名も「ライフゲーム」。生命とゲームが一緒になった不思議なネーミングだ。
それを簡単に表現するなら、碁盤のような格子状の平面に碁石のように生物を適当に並べ、そしてそれぞれの目を取り囲む8つの目に他の生物がいくついるかによって、次の瞬間にその生物が”そのまま”か”誕生”するか”消滅”するかを決める、というだけのもの。
具体的なルールは、ある場所に生物がいるとして、周りに2つか3つの仲間がいれば、そのまま生き続けることができるが、1つ以下か4つ以上なら消滅する。またどこにも他の生物がいなければ、次の瞬間にはその個体は消える。また誰もいない目の周りを3つの生物が取り囲んでいれば、次の瞬間には新しい生命が誕生する。
つまり隣に仲間が1つ以下ならさびしくて生き残れないし、4つ以上でも過密になりストレスで死んでしまい、2つか3つなら助け合って快適に現状維持できるし、ちょうど3つなら子どもが生まれるというイメージだ。
こうして適当に碁盤上に並べた石を動かしてみると、とんでもない現象が起きた。まったくパターンが変化しない形や、チカチカ振動するように2つのパターンを繰り返すもの、どんどん形を変えながら移動していくものなど、まるでシャーレに入れた水面上を微生物やウイルスが増えたり消えたり動き回ったりするような予想不能の複雑な動きが生じたのだ。
2020-04-05 18:18:23