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富士通のパソコン40年間ストーリー【3】「8ビット御三家」へと押し上げた「FM-7」

富士通は1981年5月20日、同社初のパーソナルコンピュータ「FM-8」を発売。2021年5月20日で40年の節目を迎えた。FM-8以来、富士通のパソコンは常に最先端の技術を採用し続け、日本のユーザーに寄り添った製品を投入してきた。この連載では、日本のパソコン産業を支え、パソコン市場をリードしてきた富士通パソコンの40年間を振り返る。掲載済みの記事にも新たなエピソードなどを追加し、ユニークな製品にフォーカスしたスピンオフ記事も掲載していく予定だ。その点も含めてご期待いただきたい。

富士通のパソコン40年間ストーリー【1】第1号マシン「FM-8」の舞台裏

■第1回 ■第2回 ■第3回

1982年11月8日には、富士通のパソコン第1号機「FM-8」の上位機種となる16ビットマシン「FM-11(FUJITSU MICRO 11)」と、下位機種の8ビットマシン「FM-7(FUJITSU MICRO 7)」の2機種を発表。FM-8の発売から8カ月が経過した1982年1月にスタートした開発プロジェクトチームは、FM-8を軸に、上下方向に製品ラインナップを拡張してみせた。

FM-7とFM-11の製品発表とともに、FM-8も機能強化を実施。富士通は「松竹梅」といもいえる3機種のパソコンをラインナップすることになった。またこのとき、FMシリーズのイメージキャラクターにタモリを起用することも発表した。

外側から見ると、FM-8の下位機種となるFM-7は、ラインナップ拡大策として定番の戦略だ。一方、8ビットから16ビットへとステップアップするFM-11は、技術革新を行ったという点で製品化に大きなハードルを抱えていたように見えるが、当時の開発チームにとってはむしろFM-7のほうが大きな決断を迫る機種だった。

もともとFM-8は、富士通らしいパソコンを目指して高性能化にこだわり、ビジネス用途でも利用できるパソコンとして市場投入を図った。競合他社と比べてリリース時期を約2年も遅らせ、ようやく市場投入にこぎつけたのだ。

にもかかわらず新製品のFM-7では、FM-8で苦労のすえ実現してきた拡張性などは可能な限りそぎ落とし、ホームユースを強く意識した製品へとコンセプトを変えるという決断を余儀なくされた。具体的には、FM-8が搭載していたRS-232Cコネクタも、8インチフロッピーディスクドライブ用の拡張スロットも省略。「重戦車」と呼ばれたFM-8が、FM-7ではまるで軽量化したスポーツカーのように生まれ変わった。

FM-7の価格は126,000円。FM-8より92,000円も安い価格設定は、当然ながら大きな話題を呼んだ。もちろん低価格化を図っただけの製品ではない。富士通らしさを無くさないために、開発チームは踏ん張った。

最大のポイントは、新たに開発したパレット機能を盛り込んだLSIの搭載だ。これにより、8色のカラー画面で高速処理を実現。ゲームなどの表示に最適化するなど、グラフィック機能は大幅な性能強化だった。

16ビットマシンのFM-11にはEX・AD・STという3モデルを用意。最上位のFM-11EXでは、インテル互換の16ビットCPU「MBL8088」と、モトローラ互換の8ビットCPU「MBL68B09E」を搭載。さらにオプションでZ80カード(CPUカード)も用意し、16ビットパソコンとしての利用に加えて、FM-8用に開発されたソフトウェア資産も活用できるようにしていたのが特徴だ。

従来の本体とキーボードの一体型構造から、それぞれを分離した筐体設計としたほか、OSにはCP/M-86を標準搭載。作業計算プログラムのFMCALCも標準で装備しているため、「ハードウェアの価格だけで高価なソフトウェアも入手でき、導入したその日から実務に役立てられる」と訴求した。OSをハードウェアにバンドルし、ハードウェア(と価格)に含めて提供した点も注目を集めた。ちなみに、富士通の歴代パソコンを振り返ると、購入時点で多くのアプリケーションが付属している製品が多いのだが、それはこの時代から続くものであったともいえそうだ。
○「8ビット御三家」の一角へ

発売後、一気に売れ行きを伸ばしたのはFM-7である。これによって、日本のパソコン市場全体で低価格化路線に火がつき、富士通のポジションを一気に高めた。先行する3社から日立を抜き、NECのPC-8801シリーズ、シャープのX1シリーズとともに「8ビット御三家」の一角を担うことになったのだ(16ビット機が普及する前は「パソコン御三家」と呼ばれていた)。

FM-8で高機能化を追求し、なかなか離陸しなかった富士通のパソコン事業が、低価格化路線のFM-7によって離陸したのは皮肉な話だが、1983年の8ビットパソコン市場はFM-7を中心に動いたと表現する業界関係者もいたほどの勢いがあった。

当時、FM-7を開発した半導体事業部門を統括していた安福眞民専務取締役は、「累計で10万台行けばいいと考えていた」と振り返っていたが、FM-7は1984年4月の生産終了までに22万台の累計出荷台数を記録。日本のパソコン黎明期を代表するヒット製品となった。

○MSXへの参入も

FM-7を皮切りにパソコンの低価格化が進むなかで、「MSX」規格のパソコンが登場した。MSXは、マイクロソフトとアスキーが提唱した共通規格だ。当時のパソコンはメーカーや機種ごとに動作するアプリケーションが異なっていたが、MSX規格ならメーカーや機種を問わず、どのMSXパソコンでも同じアプリケーションが動く点が大きな特徴だった。

ソニーや松下電器産業(現・パナソニック)といった家電メーカーも含め、10社以上が相次いでMSXに参入。富士通も1983年11月1日、MSX規格に準拠した「FM-X」を発売した。FM-Xの価格は49.800円だった。すでに国内で地盤を築いていたNECとシャープは参入を見送り、「8ビット御三家」のなかでは富士通だけがMSXに参入した格好だったが、純粋なMSX規格のパソコンを投入したわけではない。

FM-XはオプションのFM-7インタフェースを利用して、FM-7との接続を可能としていた。これにより、スプライト機能によるMSXでは味わえないカラーグラフィックの高速表示や、スムーズなアニメーション制作をサポート。加えて、2つのPSG(プログラムサウンドジェネレーター)による8オクターブ・3重和音のステレオサウンド、FM-7のRAMを拝借してFM-Xのユーザーエリアを32KBまで増強、FM-7のプリンタを使用――といった拡張要素を持たせていた。FM-7との連携によって、他社との差別化を図るMSXパソコンになっていたのだ。なお、MSX準拠のパソコンは1990年代まで製品化されたが(※)、富士通はFM-Xの1機種だけで撤退している。

※最終的な規格は1990年発表の「MMSXturboR」で、これに準拠したパソコンを一般コンシューマー向けに発売したのは松下電器産業(現・パナソニック)だけだった。
○FM-7の系譜

大ヒットとなったFM-7の後継機種として、1984年5月10日に発表したのが普及版の「FM-NEW7」と、グレードアップ版と位置づけた「FM-77」である。当時のニュースリリースには、「今回の発表により、FM-7シリーズは、8ビットのスタンダード機種としての地位を、さらに不動のものにすると確信している」という強い言葉が添えられていたほどの自信作だ。

FM-NEW7は、FM-7との完全互換性を維持し、発売済みだった1,000種類以上のアプリケーションや周辺機器が使えた。さらに、高集積度メモリとゲートアレイを採用して高性能化を実現。価格は99,800円と、さらに低価格化させた。

一方のFM-77は、使いやすさと拡張性を強化。FM-7と比べてグラフィック性能を最大2倍に高速化したほか、オプションのスーパーインポーズユニットを接続することで、テレビなどの映像に文字やグラフィックパターンを合成することができた。こうしたグラフィック機能の追求は、後継機のFM-77AVにも継承されていく。FM-77の価格は198,000円からだった。

FM-77では、新たに3.5インチフロッピーディスクドライブを搭載したのが特徴だ。だが、社内では大いに揉めたという。新たなメディアを採用すれば、既存の5インチフロッピーディスクのソフトウェアはそのまま利用できない。新たなメディアが市場にどれだけ受け入れられるかも未知数だった。

ドライブの調達が間に合うのかといった課題もあったという。開発チームは、1984年1月の段階で、3.5インチフロッピーディスクドライブの搭載をいったん白紙に戻したというから、悩みに悩んだことがわかる。

最終的には3.5インチフロッピーディスクドライブの搭載を決めた。「新たなことに挑戦するのが、リーダー企業としての姿勢」というのがその理由だ。FM-7で8ビットパソコン市場のリーダーとなり、その市場を牽引していくという自負が、FM-77での3.5インチフロッピーディスクドライブの搭載につながっている。