新品互換用パソコン バッテリー、ACアダプタ、ご安心購入!
ノートpcバッテリーの専門店



人気の検索: ADP-18TB | TPC-BA50| FR463

容量 電圧 製品一覧

スペシャル

最近話題のメタバースとは一体何なのか?

どこで聞いたか記憶が定かではないが、ある禅問答を急に思い出した。

「この世で最も大きな話は?」と問われた僧たちが、とてつもない大ボラを競い合うことになり、ついに自分は宇宙を食ったという者の話で決着がついた。宇宙という存在こそ、考えうる限りの最も大きな存在であることは論議の余地はないだろう。と思ったら、そこに後からやって来た者が、宇宙を食った男を食った話をして、全員を唖然とさせた。

メタバースは30年前に誕生

宇宙は英語では「コスモス」とか「ユニバース」と表現するが、コスモスはギリシャ語由来で、無秩序を意味するカオスの逆の秩序や調和を象徴するものであり、ユニバースはラテン語由来で、向きや形を変えるという意味のバース(verse)が、単一を意味するユニ(uni)と結びついたものだ。

最近の宇宙物理学の理論では、宇宙はわれわれがユニバースと考えている単一の存在ではなく、多種・多元的な(multi)存在の一つに過ぎないとする、「マルチバース」という言葉や、複合的な(omni)「オムニバース」という言葉も使われる。

ともかく、万物流転を指すバースが、全体としてどのような形態で起きるかの論議がいろいろされているわけだが、最近はさらに超越を意味するメタ(meta)を付けた「メタバース」(metaverse)という言葉が加わり、世間の注目を浴びている。

フェイスブックの創業者ザッカーバーグが、現在のSNSの進化形としての将来のネットの姿を表現するために使い、ついには社名までメタ(Meta)に変更してしまうまでになると、世間も何事かと関心を寄せるようになる。今年の世界的な家電業界の展示会CES 2022でも、メタバース関連の製品の発表が相次いだ。

これは彼の発明した言葉ではなく、インターネットが一般に知られるようになった頃の1992年に、SF作家のニール・スティーヴンスンが発表した『スノウ・クラッシュ』という作品の中で、未来のアメリカを支配しているネット世界を指す言葉として使われたものだ。

インターネットが一般化する前の1980年代にSF作家ウィリアム・ギブスンが、パソコン通信などの作り出す初期のネットを見て、人の想像力と電子テクノロジーが一体化した新しい体験を表現する「サイバースペース」という言葉を使い、それを機にサイバーパンクと呼ばれるSFのジャンルが立ち上がったとされる。当時はスティーヴンスンの新語もギブスンのそれと大きな違いはなく、ネット時代が立ち上がって来た時代に差別化のために敢えて作ったように感じられたものだ。

すでに人類は19世紀の末に電話を使って、目の前にいない相手と声でつながる、当時としての超常体験をしており、遠く離れてもう二度と会うはずのなかった相手の声を聞いて、天国と会話しているような幻想を抱く者さえいたという。

パソコンと電話がつながったパソコン通信でも、どこか架空のアリスの国のようなイメージの世界にキーボードで文字を打てば、相手から文字が返ってきて、メールや掲示板のような形でコミュニケーションができたが、それがいずれは昔から未来の電話の姿として想像されていたテレビ電話のようになって行くだろうと人々は考えた。

実はギブスンはテクノ音痴でファクスも上手く使えなかったらしいが、パソコン通信を使いこなす初期のハッカーと呼ばれる若者を見て、これこそ未来の社会のイメージだと直感して新しい言葉を作ったが、日本でもそれを「サイバー空間」と言ったり、当時のコンピューターを指す言葉の一つだった「電脳」と結びつけ、「電脳空間」と言ったりした。

当時のインターネットは、まだARPAネットと呼ばれていて、全米に網の目のように張り巡らされたネットワークを基盤や母体を意味する「マトリックス」と表現する人もおり、そのときの用語がそのまま1999年のウォシャウスキー兄弟(当時)の映画の題にもなっている。

VRを表現するさまざまな言葉

新しいコミュニケーションのテクノロジーが出現すると、人類の世界観は大きく変わり、その感覚を新しいユニバースとして表現しようとしてきた。

15世紀の中ごろに、ヨハネス・グーテンベルクが活版印刷術を発明し、文字で書かれた書物が大量に作られることで、国や地域を超えた知識が広がり世界観が大きく変わったが、この変化を指摘したマクルーハンは『グーテンベルクの銀河系』を書いた。当初は他に「環境」とする案もあったが、この銀河系(Galaxy)という言葉は、まさに本の共同体が創り出すメタバースやサイバースペースを意味するもので、宇宙を意味するユニバースをより具体的に表現したものだ。

「銀河」という言葉は初期のARPAネット開発を主導したMITの研究者J・C・R・リックライダーが地球規模のコンピューターネットワークを構想して1962年に書いた、「銀河間コンピュータネットワーク(Intergalactic Computer Network)」という論文にも使われており、インターネットがもともと一つの宇宙のようにイメージされていたことがわかる。

ザッカーバーグは早くからVR用のヘッドセット(HMD)を作るオキュラス社を2014年に20億ドル出して買収し、次世代のフェイスブックではキーボードばかりでなく、HMDの見せる3D空間の中で相手と交流できる世界をイメージするプレゼンをよくしていたので、最近のメタバースで彼が見せるプレゼンにも新しさは感じられないが、世間ではネットにVRやARを組み合わせたインターフェースがもっぱら話題となり、21世紀に入ってまもなくウェブの世界に参加者のアバターを登場させ流行したサービス「セカンド・ライフ」を思い出す人も多かった。

そもそもVR、つまりバーチャル・リアリティー(Virtual Reality)という言葉も最近聞かれるようになったと思う人も多いが、すでに30年以上も前に作られていたもので、この言葉が定着するまでには紆余曲折があった。

最初は「仮想現実(感)」「人工現実(感)」などと訳され、アメリカではArtificial Realityとも言われたことから「人工現実」という言葉もあって、当分の間メディアも混乱していた。

それらに先だって仮想世界(Virtual World)、仮想環境(Virtual Environment)などという言葉もあったが、客観的に「世界」や「環境」と呼ばれるよりも、使う人が主観的にリアルに感じることに注目して、最初の商用HMDを売り出したVPL社のジャロン・ラニアーがVirtual Realityと言い出したところ、こちらの言葉が新しい経験を「言い得て妙」だと普及することになった。

他にも英語圏ではSynthesized Reality(合成現実) 、Simulated Reality(模倣現実)、Annotated Reality(注釈付き現実)、Virtuality(仮想)、World Simulator(世界シミュレーター)、First Person Experience(一人称的経験)、Telepresence(テレプレゼンス)、Tele-existense、Tele-immersionや5Dなどの多種多様な用語が入り乱れたが、結局はVRが生き残った。

最近はVRを細かく分類して、現実側を補強するものをAugmented Reality(拡張現実)、現実と一緒に使うMixed Reality(混合現実)、さらにはそれらを包括するExtended Reality(XR)まであるが、次第にそうした差異を問題にする必要性はなくなっていくと考えられる。

ネット社会の宇宙とは?

というのも、こうした用語の乱れは、往々にして本質的な意味を問うためというより、同じような目標に向かって他社と差別化した製品を開発しようとする、マーケティング的なドライブによるものが大きいからだ。他社製品と混同されないように敢えて別の言葉を使い、こちらが正当な当社のオリジナルだとばかりに、いろいろな言葉による言語戦争が勃発する。

いまは駆逐されてしまった、一般に「フロッピーディスク」と呼ばれた円盤型の磁気シートを使った外部記憶装置も、これ以外にフレクシブルディスク、ディスケットなどの言葉が飛び交ったし、90年代初頭にパソコンが文字以外に画像や音声を扱えるようになった頃にも、メーカーによってマルチメディア、マルティメディア、マルタイメディアなどという読み方の微妙な使い方の差を付けていたので、どの会社の製品かがすぐにわかったものだ。

しかしこのメタバースなるものが目指しているのは一体何なんだろうか?

元フェイスブックのメタ社がデモしているメタバースなるものは、上半身しかない自分の3DのアバターがVRの会議室の空間に浮かんでいて、他人のアバターとその場にいるように目を合わせて会話したり、手で何かを渡したり身体表現を加えることができるもので、VRが当初からデモしていたイメージと変わりない。

もともとVPL社が最初にデモしたVRは、コンピューターの作った託児所のイメージの中で、2人のHMDを被った人が相手の3Dイメージと会話する、電話会社のために作られた未来の電話のイメージだった。つまり遠く離れた相手と、声や文字ばかりでなく、対面で会っているような環境を創ろうとした点で、メタバースのデモと何らコンセプトは変わらない。

メタバースやサイバースペースやVRなどの他の似た用語の違いや優劣を論じるのは、結局はそれら言葉を使って新商品を売る会社の開発力を評価する話になってしまうので、いろいろな言葉がイメージしている共通の未来のネット空間のイメージを論じることにしよう。

話題のメタバースに対抗するように、本コラムでも話題にした「ミラーワールド」という言葉がある。一次的には、現実を鏡に映すようにモデル化したVR空間を指すが、メタバースもVRもわれわれが現実だと思っている世界を、デジタル化モデル化してコンピューターやネットの中に再現して、それを全身で操るという仕様だ。

これらに共通の要素は、以前にも使われた一人称的な人間中心の世界観だ。いままで国や社会が与えてきた公共サービスや都市、生活空間の従属者としてのただのユーザーでしかなかった人々が、自分の端末を通して主観的視点で公共サービスや、金融、ニュースなどの従来は提供者側の窓口に出向かなくては受けられなかったサービスを、手許に引き寄せて自分の思い通りに受けることができる。

つまり、広く言えば、個人を世界の従属物でしかない立場から、自分を中心に据え直す大きな視点の変更だ。ある意味、中世までの世界が神の支配する世界で、人間は神や自然の意志に翻弄されて信仰で対応するしかなかったものが、ルネッサンスや科学革命によって、自ら世界の法則を手許に引き寄せ、自らの判断で世界を構築しようとする態度とも重なる。

そういう意味では、メタバースに代表されるトレンドは、21世紀になってよりウェアラブルやインプラントなどでより人に近づいたテクノロジーを使って人間を中心に操る作法とも言え、新しい時代のルネッサンスの再生とも考えられるのではないか。

ただのトレンド語に目を白黒させる前に、こうした大きなデジタル化の潮流に広く目を向けて、人類の文明が新しいステージを迎えているのではないか? と思いを巡らしてみるのも夢がある話ではないだろうか。そうしないと、最初の禅問答で出てきたような、ネットの宇宙に飲み込まれて、それをさらに飲み込める自分を見失ってしまうだろうから。