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「新聞」はもともとデジタルだった?

昨日、地下鉄に乗っていたら驚くべき「事件」にあった。車内はあまり混んではおらず、ほぼ全員がスマホをのぞき込んでいる。すると少し離れた座席で異変が! 急にガサガサという音がして、誰かが大きな紙らしきものを広げ始めたのだ。どう見ても迷惑、一体何を始めようとしているのか? と思ってじっと見ると、それは新聞を広げてウクライナのニュースを読もうとしている人だった。なぜかそれは、見たこともない奇異な風景に思えた。

新聞というメディアの苦境

新聞社に長年勤め、退職後も毎日配達されてくる新聞(ここでは紙に印刷されたものを指す)を読んでいるのに、車内で普通に読む人が異様に見えるなんて、何かがおかしい。しかしよく考えてみると、最近は車内で新聞はおろか本を読んでいる人にもお目にかかったことがない。新聞や雑誌や本はほとんど電子化されスマホに移り、外で買おうと思っても駅に売店もないという状況だ。

ちょっと油断をしているうちに、新聞を読むという習慣や風景は一気に世の中から消えしまった事実に、いまさらながら気づいた自分に、逆に驚いてしまった。最近の大学生はダイヤル式の電話機を使えないらしいが、これからの世代の子どもたちは、「新聞を読む」というという言葉が「テープを巻き戻す」とか「レコードに針を落とす」というぐらい意味不明な表現になっていくのだろう。

日本新聞協会が取りまとめている全国の新聞の総発行部数は2021年で3303万部。終戦直後は1500万部程度だったが、徐々に増えて1997年には5377万部に達し、それから年平均で100万部程度ずつ減り続け、ここ5年ほどは毎年200万部減と激しい状況だ。このカーブを単純に伸ばしていくと、15年ほどで0に! まさに絶滅危惧種状態なのだ。

最近、選択定年(早期退職)で辞めた記者が、「創業以来最大の赤字:朝日新聞社で今、何が起きているのか」と古巣の内情を書いたネット記事が出て、業界関係者がざわついた。

かつて800万部を誇示していた部数が500万部を割り込み、5000億円近かった売上が2938億円と2000億円も減って、さらに前年比600億円減で458億8700万円もの赤字となり、社長が交代して、社員の給与や経費等がカットされ、人員削減が始まったとされる。

将来を心配する声はかなり前からあったものの、社会の情報インフラとして電気や水道のように不可欠扱いされ再販制や軽減税率で守られ、当初は定期的に値上げすることで持ち直し、美術展や大きなイベントで読者を勧誘したり、字を大きくしたりインクが指に付かないように改良するなど、小さな手直しでお茶を濁してきた。

テレビが普及するとライバル登場! と構えたが、結局はテレビ局を傘下に系列化して乗り切り、インターネットが出てきた頃は、どうせこんなものはパソコンオタクの遊びだと相手にもしなかった。

ところがネットは予想を超えてスマホとともに広がり、ニュースばかりか本や雑誌、テレビや映画まで見られるようになり、人々は新聞を止めて購読料はスマホ代に充てるようになった。そして新聞社の収入の3割を占める広告もどんどんネット広告に移ってしまい、ついに今年は、ネットがラジオ、雑誌、新聞、テレビの4大マスメディアを足した広告収入総額を上回るという状況になった。

新聞を取っていない家庭が増えたため、若者の多くはもともと読む習慣がなく、読者だった老人は消えていくばかりで、将来の読者を紙以外で確保しようと、あわててネットにタダで流していた新聞記事を有料化しようとするも時すでに遅し。

ネットの普及により、さまざまなニュースが現場から発信されるようになり、新聞やマスメディアの伝える情報が後れて間違っていたり、権力に近い記者クラブ(という世界でも特異な組織)が伝える情報が政治に忖度していたりと、国民の味方というより第4の権力としてふんぞり返っていると見なされ、マスゴミなどと悪口を言われるようになった。

世の中のメディアのあり方を批判し、ネットやデジタル化の記事は書いているくせに、それを自分の問題としてとらえておらず、部数の維持ばかりに血道をあげているうちに、屋台骨の紙の新聞が傾いて大赤字になった、と批判する声が沸きあがった。

当事者としての新聞社は、権力を監視し社会の木鐸として良い報道をしようと努力してきたのに、何が悪かったのか? と理解できないまま、時代に取り残されないように形ばかりのデジタル化を進め、ネットと差別化するために調査報道などを強化しようとするも、購読者数が回復する兆しは見えない。

19世紀の電子メディア

現在ネットにあたふたしている新聞は、実はもともと「近代初の電子メディア」と言ったら、ほとんどの人は呆気にとられるかもしれない。

1853年にウクライナ南部のクリミア半島で勃発したクリミア戦争は、英仏オスマン帝国連合とロシアが戦ったものだが、日々の戦況は1830年代後半に実用化されたばかりの電気通信の祖ともいえる電信を使ってロンドンまで伝えられ、タイムズ紙が毎日の戦況や死傷者の情報を逐一伝えた。

それ以前には、遠い国で起きた戦争の情報が一般に伝わるのに数カ月から数年かかる場合もあり、ほとんどが過去の出来事の伝承に終わっていたが、電信によって何千キロも離れた場所で起こっている事件が日々リアルタイムに伝わってくると、人々はそれがまるで自分の家の近所で起きているように感じたという。

それは現在、ウクライナの戦況が毎日、ネットで伝わってくるのと同じような状況で、いてもたってもいられなくなったナイチンゲールが志願して戦場に向かった話は以前も書いた。

それ以前の新聞は、主に地元のニュースを人力で集め、遠隔地の出来事の情報は郵便で届くレベルの限られたものだった。取材範囲は狭く、月刊や週刊のニューズレター風の体裁で、ニュースが足りない日には休刊したり、遠くから来た緊急性のないニュースは後日まとめて出したりするという悠長な時代だった。

ところが電信という、いまのインターネットの前身にあたる電子メディアができると、電気信号を使って光の速度で情報が伝わってくる。遠く離れた国内の場所や隣国、行ったこともない海外の情報が日々押し寄せ、情報量もとてつもなく増えてしまった。これらが商売になると考えた新聞社は紙面を拡大し、多種多様な互いに無関係なニュースを重要度に合わせて読みやすいようにレイアウトして、輪転機という高速印刷機で日々印刷して配る、というイノベーションを仕掛けた。

これは新聞社というニュースを加工するシステムの情報の入力部分が、電子化されたということになる。ある意味これは「電子化による本の発展形」とも考えられ、電子メディアのおかげで筆者や原稿が急に増えたので、しようがなく大きな紙に全員の話を並べた百科事典のような体裁にしたのだ。つまり新聞は複数の筆者による集合的な一種の本なのだ。

その後の工程としての記事を編集して新聞紙に印刷する部分は、活字を組み上げる形式のままずっと変化することはなかったが(活字を並べるための機械化は行われたが)、1960年代になって編集とレイアウトを電子化する動きが始まった。日本では朝日新聞と日経新聞がIBMと組んで、コンピューターの画面で紙面イメージ上に記事を配してそのまま印刷用の版を作るシステムを開発し、これが1980年代から本格稼働した。

こうして入口部分の電子化から1世紀以上経って、本体の電子化が行なわれることで、より多くの情報を迅速に新聞という最終プロダクトに落とし込むことができるようになった。これは現在で言うなら、大型コンピューターを使ってDTPを行っていたようなものだ。

そして新聞製作工程を電子化することの副産物として、デジタル化した記事をデータベースに蓄積して過去記事を再利用したり、電子化した記事をネットワークで配信したりすることが可能になった。

そして訪れたのが1990年代のインターネット時代だ。つまり、入口の電子化が中間の製作工程の電子化に及び、ついには情報の出口にまでその進化が達したという事になる。おまけにネットのおかげで、入口の部分の取材や原稿の送信機能も強化された。

しかし輪転機という巨大な機械を保有することで、大量の印刷を高速に日々行うための進化した出口の部分はおいそれと止められないし、その後のトラック便や鉄道便による物流部分や、新聞配達をするための全国の販売店という紙に特化したインフラはまだ存在する。

トヨタが電気自動車(EV)の時代が来ても、すぐに部品工場を閉鎖して身軽に最先端に打って出られないように、これまでの成功を支えてきた現在は負に転じた遺産をすぐに捨てて、入口から出口までデジタル化することは理想的であっても現実的ではない。いわゆるイノベーションのジレンマだ。わかっちゃいるけど止められない、という難問に経営者も頭をかかえる。

デジタル化の先に生き残るのは

しかし世界の変化に適応できなければ、有名企業も老舗も存続はできない。花王石鹸がその名を捨て広く化学製品にシフトし花王となり、富士フイルムがデジカメ時代にフィルムや印画紙から脱却した化粧品や医療に進出したように、新聞社も新聞紙に印刷して配るビジネスモデルを、本来のニュースを広く読者に届けるという原点に立ち返って、デジタル時代の工夫をすればいいではないかという声も聞こえてくる。
アメリカではいち早くデジタル化のトレンドに立ち向かったニューヨークタイムズ紙がネット有料化で成功していると伝えられるものの、紙の新聞の損失をどうにか補っている程度で、多くの新聞社は廃業に追い込まれている。

同紙はいち早く、新聞しか知らない創業一家の経営を立て直すために、10年前にCEOになったマーク・トンプソン元BBC会長の下、外部のデジタルに特化した新しい血を導入して、新聞社の常識にとらわれない経営を断行してきた。ワシントン・ポスト紙を買ったアマゾンのジェフ・ベゾス元会長も、従来の常識に捉われないデジタル時代の新聞を指している。

では、このネットとデジタルの支配する世界で、新聞はどうなっていくのだろうか?

マクルーハンは1960年代に、IBMは事務機器を売っているのではなく情報処理、AT&Tは電話ではなくコミュニケーションというビジネスをする会社だと、当時の役員たちに講演したが、誰もその言葉を理解しなかったという。その流儀で言うなら、新聞社は新聞ではなくニュースを扱うビジネスだ。

ニュースというものは人類の発生からずっと、その生存のための不可欠な要素としていろいろな形で伝えられてきたが、われわれが知るところの新聞は、それをより広く早く伝えるための手段としては、紙に輪転機で印刷して配るのが最適な方法だと結論付けた。

そうした環境が意味を持つのは、紙が大量に安く入手でき、配達するのにもコストがかからないという工業時代の常識があってのことだ。その前提が崩れ、ネットですべてこなせば当初の理想をそのままネットで実現すればいいだけの話だ。ところが前述のように、いままでのレガシーをすぐに捨てて切り替えるわけにはいかない。

ニュースを人々の日々の生活や、世界の人々の連帯を維持するための必需品と考えるなら、2004年に米研究者が構想した10年後のネット時代の新聞EPIC(Evolving Personalized Information Construct)を思い出してもよかろう。ニュースの収集や配信は、グーグルが検索機能にSNSを付けて強化して新聞社を締め出し、広告によるビジネス部門に通販機能を強化してアマゾンを吸収して合体して「Googlezon」というシステムが世界を独占的に支配し、オーウェルのビッグブラザーのように君臨するというディストピア的ビジョンだ。

現在のように新聞や放送などの機能がネット化し、それらがビジネスとして機能しているのはネット広告やサブスクと呼ばれる定期購読であることを見れば、上記の予想は形式としては概ね外れてはいない。

しかし個人情報の扱いに関するセキュリティー問題や、ニュースがフェイクでないかどう信憑性を担保する方法にはまだ有効な解決法もない。ネットの中でジャーナリズムはどう機能すべきなのかという問題にも正解は見えない。

現在の状況は、ここ200年ほどの間に社会の情報インフラとなった、新聞というメディアがネット時代に進化しているだけだ。しかしその生存競争に生き残れるのは、デジタルという隕石が落ちて生じた環境変動で生き残れなかった恐竜のような新聞社ではなく、いち早く哺乳類のように身軽に環境に適応した新(シン)新聞社だろう。