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「アイデアは計画ではない」アポロ13号のクルーが教える教訓(その4)

1969年から1972年にかけてクルーを6回無事月に送り込んだグラマン社(現在のノースロップ・グラマン社)の月着陸船は、宇宙時代の初期を代表する乗り物の1つだ。

1970年のアポロ13号では、月着陸船アクエリアスがさらに重要な役割を果たした。この宇宙船は、主司令船オデッセイに起こった命にかかわる問題からの被害を免れ、月探査から突然方向転換した3人の宇宙飛行士の救命ボートとして使用された。アクエリアス号は、フレッド・ヘイズ宇宙飛行士を含むクルー全員を地球軌道へ連れ帰り、オデッセイ号を大気圏に再突入させた。

ヘイズは、その後もスペースシャトルの試験飛行のパイロットの1人として、NASAに勤務していた。NASAを辞めた後、ヘイズはグラマンの子会社であるグラマン・テクニカル・サービスの社長に就任した。同社は新型スペースシャトル計画の打ち上げを支える発射処理システムや、地上システム用の計測器などを供給していた。その中で、ヘイズは1980年代のNASAの一大計画である宇宙ステーション「フリーダム」計画に身を置くことになった。

インタビューのきっかけは、彼の回顧録『Never Panic Early(まずは慌てるなかれ)』が出版されたことだった。本書はビル・ムーアとの共著で、ペンギン・ランダム・ハウスから発売されている。5回にわたって、ヘイズがミッションから学んだ5つの教訓を紹介している。3回目のレッスン「『大規模チームが問題を解決する方法』アポロ13号のクルーが教える教訓(その3)」は、こちらのリンクから。

宇宙ステーション「フリーダム」は、プロジェクトマネジメントの問題が複雑に絡み合い、最終的に宇宙ステーションを稼働させることはできなかった。その理由については本が何冊も書かれているので、ここではあくまで大まかに見ていくことにする。レーガン政権下で計画され、1988年7月の発表で「フリーダム」と命名されたこの宇宙ステーションは、多くの人に知られている。米国、日本、カナダ、欧州の9カ国がその年の9月に政府間協定を結び、微小重力研究のためにステーションを建設・使用することとなった。

宇宙ステーションが実現しなかった理由の1つは、何度も設計を見直したにもかかわらず、予算に対してコストが膨らんでしまったことだ(また、ソビエト連邦の崩壊により、ロシアが宇宙とのパートナーシップを再構築することになり、最終的に国際宇宙ステーションにつながった事情もある)。ヘイズは著書の中で、グラマンがプロジェクトマネジメントを担当していたことから、ステーションを「私の次なる冒険」と表現していた。

ヘイズが指摘する、宇宙ステーション「フリーダム」に取り組んでいる間に直面した多くの問題は、議会での「異論の多い」資金調達の議論、敵対的なメディア、資金削減に対処するためにグラマンを3度再編成したこと、NASAの責任者レベルの幹部の交代(ヘイズの在任中、3人の異なる人物が立て続けに着任した)などだ。

フリーダムから得られる教訓は数多くあるが、ヘイズにとっては、一部の主要なプレイヤーがプロジェクトマネジメントを理解していなかったことが大きな要因だった。

「計画があると口にしても、彼らは実際には何のアイデアも持っていませんでした。その時点ですでに失敗していたのです」と、ヘイズはフォーブスに語っている。それに比べて、成功するプロジェクトは「作業範囲と要件が、予算や財務スケジュールの範囲に展開されていますし、ときには作業範囲のレベルまで落とし込まれる場合もあります」

コストに関しては、宇宙プロジェクトは複雑で、予算をオーバーすることがよく知られているものの、ヘイズはプロジェクトマネージャーの責任の1つは、「大まかな桁」の中で費用を見積もることだという。そして必然的に発生する問題に対して、ソフトウェアを使ってスケジュールやクリティカルパスなどのプロジェクトを成功させるための要素を管理することができるのだ。