「人類は宇宙へ行くべきか?」日本の宇宙活動の幕開けにEVAを担った飛行士の問いから続く
【写真】宇宙飛行士・若田光一さんが見た「日没時の大気の美しさ」
1990年、日本人が初めて宇宙に飛び立ってから約30年。これまでで合計12人の日本人が宇宙飛行を経験し、地球をこの星の「外」から眺めてきた。歴代すべての日本人宇宙飛行士への取材を行い、彼らの体験を1冊にまとめた『宇宙から帰ってきた日本人』が発売中だ。その中から印象深かった "宇宙" の姿を公開!
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4度の宇宙飛行を体験
1992年に宇宙飛行士候補となった若田は、これまでに4度の宇宙飛行を体験してきた。1996年のスペースシャトル・エンデバー号でのミッションを振り出しに、2000年にはディスカバリー号、2009年には国際宇宙ステーション(ISS)に日本人として初めて長期滞在し、「きぼう」の組み立てにかかわった。また、2013年からの4度目のミッションでは、日本人初のコマンダーも務めた。1963年生まれの若田は取材時に55歳、その宇宙滞在期間は計347日にものぼる。現在、最も長く宇宙に滞在した日本人である。
「4度目のフライトで私は188日間、ISSに滞在しました。188日間というと、地球を3000周くらいするんですね。そうすると、地球は小さいと思うようになった。そして、そのように小さなかけがえのない故郷を守ることが、我々の大きな課題であることを実感として理解できるようになった。僕は地球を見ながら、つくづくこう思いました。我々は本当にラッキーだ。このような美しい水の惑星を故郷と呼べるということが、こうした環境をもらえたことが、どれほど小さな可能性であったか。それは宇宙に行って帰ってくることで、自分の最も変化した地球に対する愛おしさの感覚でした」
若田は4度の宇宙体験を経て、そのように小さくかけがえのない地球に生きる自分たちには、その環境を守る責任があるという確信を得たと続けた。例えば短期ミッションと異なり、3度目と4度目の長期ミッションでは、週末など余暇の時間もありじっくり地球を見る余裕があった。長く宇宙にいて素晴らしいのは、地球の季節の変化が分かることだった。
上空400キロメートルから見た「地球の美しさ」
宇宙から見た「カナダ上空のオーロラのカーテン」(出典:若田光一氏のTwitterより/https://twitter.com/Astro_Wakata/status/404263265951170560?s=20)
秋から冬、冬から春、春から夏。南半球と北半球のどこに白い雪があるか、どの場所の水に氷が張り、緑が生い茂っているか。太陽の黒点活動の強弱によってオーロラの生じ方も変化する。それぞれのフライトごとに、若田の目に映る地球の表情は異なっていた。
宇宙からも見える「東京の夜景」
「とくに印象的なのは昼間と夜の違いです。昼間は台風であったり、砂漠に吹く強い風であったり、1周ごとに変わっている雲の様子であったりと、自然のダイナミズムを感じさせてくれる。海の色一つとっても、淡い水色から藍色まで地球の表情はあまりに多様で、見飽きることがないんです。それが夜になると、今度は都市の強烈な灯りが印象的に見える。オーロラや稲妻以外の地表の光は、人類の科学技術力が生み出したものです。それを見ていると、あたかも我々人類がこの地球を支配しているんだという感じを受けるし、どれだけ莫大なエネルギーを消費しているかが分かる。もし宇宙人が地球を夜に見たら、人間が一定の科学技術を有しているとすぐに察知できるでしょう。そんなふうに地球の環境に大きな影響を与え続けながら生きていることに対しての責任を感じたんです」
若田がそのように感じたのは、そのとき自分の滞在していた宇宙船そのものが、地球に似せて作られたものであることを深く理解していたからだ。
「多くの宇宙飛行士が言うように、宇宙船は小さな地球です。水を電気分解して酸素を取り出して呼吸に用い、副産物の水素と呼吸で発生する二酸化炭素からメタンと水を生成する。汗や尿もリサイクルして飲み水として再利用する。このような再生型の生命維持・環境制御技術を我々は獲得してきました。いまISSでは捨てているメタンにも水素が含まれているので、それを取り出して再利用する技術も必要になってきます」
若田はこう語ると、NASAで仕事をしていた際に出会った宇宙飛行士ジョン・ヤングの次のような言葉を紹介した。
「バックアップの住みかのない生命体は必ず滅びる」
2018年1月5日に87歳で亡くなったジョン・ヤングは、6度の宇宙飛行を行なった「雲の上の人」だった。アポロ16号やスペースシャトルの初フライトのミッションでは船長を務め、月面にも降り立って3度の船外活動を行なっている。
人類が宇宙へ行く意義
「その彼が言っていたのが、地球以外の生命維持拠点を作れるときに作っておくことの重要性でした。そもそも我々宇宙飛行士は、常にバックアップの必要性を意識しながら仕事をしています。コンピュータが壊れたら、もう一つの方を使って生き延びる。エアコンも複数あって、一つが壊れたら残りのシステムで乗り切る。そのように必ず冗長系の考え方を取る姿勢が、私たちには染み付いています。
しかし、この世界には飛行機の翼のように、絶対に壊れてはならない構造もある。それが地球です。この地球の環境を壊したら我々は死に絶えてしまう。ただ、よく考えればこの地球もまた、いつかは消えてなくなるわけです。では、そのための準備を人類はいつから始めるべきなのか。宇宙に行くことで得られる知見は、技術的なことだけではなく、そうしたフィロソフィカルな視点から、我々が人類の存続のためになすべきことは何なのか、という問いを生まざるを得ないはずです。
私はそのように人類が活動領域を広げることをコントロールするのは、AIではなくやはり人間自身でありたい、と思っています。生身の人間が主導権を握って活動領域を広げることに意義を感じられなければ、我々は滅びるしかないという気がするからです」
宇宙から地球を見ていると、この惑星がなぜ宇宙船地球号と呼ばれるのかが分かる、と若田は他の飛行士たちと同じように続けた。宇宙船内ではエアコンや二酸化炭素除去装置が故障すれば、それがすぐさま深刻な状況をもたらすように、いつかそれと全く同じことが、この地球でも起こるかもしれないのだ、と。
「小さな宇宙船でそうしたリスクとともに暮らしていると、気候変動に対応し、地球環境をアクティブにコントロールして守る技術の確立こそが、科学技術を持っている生命体としての義務ではないか、と実感します。それは我々が種を存続させていくための危機管理であり、宇宙開発や宇宙飛行士の仕事の究極的な目的なのだと思うのです」
人はなぜ宇宙へ行くのか――。
日本人宇宙飛行士は何を見たのか、史上初・歴代12人の飛行士への総力取材を行った『宇宙から帰ってきた日本人』発売中。
2019-12-20 16:47:41